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『福は内!鬼も内!』(傳馬 淳一郎)

サンピラー

 2012年2月3日 今朝の気温、氷点下25度、晴れ。当たり前のようにダイヤモンドダスト(空気中の水分が凍ってできる現象)が舞っている。名寄市民には耳慣れている「サンピラー」。これは、ダイヤモンドダストに太陽の光が反射して、光の柱(sun pillar)のようにみえる現象のこと。ここ名寄では、今朝のように氷点下20度を下回ることもあり、サンピラー現象は名物にもなっている。
 北海道の長い冬も2月を過ぎると少しずつ寒さが緩み、新たな季節の予感を感じさせる。今日は暦の上で季節の分け目「節分」である。あの多くの人に嫌われている「鬼」が最も脚光を浴びる日でもある。保育士として働いていた頃、この時期には鬼役を命じられ多くの子どもたちを恐怖に陥れていた。先日、学生から「園の先生がすぐに“鬼来るよ”と言っていた。恐怖で躾けるようなことは、いかがなものか」と実習先での様子の報告を受けた。心が痛い…。せめて一年に一度、「鬼」という非日常の恐怖を体験することで、目に見えないものへの畏れ、自然に対する畏怖の念を感じる機会なのではないか…そんな自分なりの言い訳をもって、節分を迎える。
 我が家でも毎年この日は豆まきを行う。5歳の息子、3歳の娘が通う幼稚園でも、今日は「鬼退治の豆まき」を行っていた。どんなに忙しくてもこの日は、仕事を切り上げ、豆まきのために帰宅する。子どもたちの様子を探るため、家に電話をかけてみると息子が出た。「もしもし、トット(我が家での父の呼称)?豆まき、待ってるよ」「今日、幼稚園に鬼が来たのかな?怖かった?」「全然怖くない!だって、運転手のおじさんだったもん。髪の毛がポワポワって見えてたもん!」電話を切り、家に向かいながら作戦を練る。今年は随分と余裕のある息子。父として、鬼として、いかに振る舞うべきか…。行き着いた答えはこうだ。「ただいま!いやぁ、大変だ!さっき交差点で車を止めたら、横断歩道を鬼が渡ってきたんだ。そうしたら、車に近づいてきて、ドンドンドンって車の窓を叩いてきたのさ!怖くて逃げてきたよ!」テレビに夢中の子どもたち…ほとんど耳に入っていない。必死にこちらへの注目を集めようと独り言のように「鬼」の話をしていると、私を無視して兄が妹へ「鬼なんて怖くない」ということを丁寧に伝えている。「前ね、トットが鬼連れてくるって玄関に行ったらね、お面をかぶって来たんだ。だから、今日もお面をかぶったら、トットを押えてね。僕がお面を取るから。それで大丈夫だから!」頷き合う兄妹。昨年の節分では、玄関から呼鈴を鳴らすと同時に鬼の面をかぶって登場したのだった。もちろん大泣きの二人であった。しかし、今年は幼稚園での経験から昨年のようにはいかない。食事を早々に終え、豆まきを始めようと子どもたちを集め、遠くを見ながら静かに語り始める。
 「これはね…大学で鬼の研究をしている先生の話だから、かなり“しんぴょう性”が高いんだけどね…」子どもにとって難解な言葉を使うことで、得体の知れない恐怖を演出する。「人の心の中には鬼が住んでいるんだって。ところが一年に一度、節分になると心の中から抜け出して、あちこちをウロウロするんだって…」まだ、笑みを浮かべて余裕の子どもたち。「さっき、交差点で見た鬼…あれを良く思い出すと○○ちゃん(妹)に似ていたんだ。そう!○○ちゃんの心の中に住んでいた“すぐ叩いてしまう鬼”!」思い当たる節があるのか、一瞬にして表情が凍りつく妹。「だから今日は○○ちゃん、一度も叩いていないんだね!“泣き虫鬼”“野菜を食べない鬼”…色々な鬼が心の中から抜け出してウロウロしている!」「カッカ(母の呼称)の“すぐ怒る鬼”も?!」兄も私の世界観に入りつつある。しかし、妻の顔を見ることが出来ずに頷く私…。「でもね、その鬼たちは、疲れている人や調子の悪い人の心を狙っているんだ」そういって、数回咳き込んで見せる。「今日は昼間から“ゔゔゔ”とか“おぉぉ”とか変な声が出るんだよなぁ…」一瞬、身を引く兄妹。完全にこちらのペースに引き込んだ。「もし、トットの心に鬼が入ってしまったら、豆を投げて追い払ってね」慌てて豆の入った箱を手にする二人。
 次の瞬間、奇声を上げてうずくまり、暴れまわる私。妹は恐怖で表情がなくなり棒立ち、兄は「鬼は外、福は内」を連呼しながら必死に豆を投げる。鬼も負けていない。二人を抱えてぐるぐると回る。「今だ!」兄が妹に“お面を取る作戦”実行の合図を送る。しかし、一歩も動けない妹。兄は勇気を振り絞り鬼の懐に飛び込み、お面を剥ぎ取る。一瞬、鬼の動きが止まる…しかし、効き目はない。鬼に完全な憑依をされており、お面を取る程度では父に戻らない。まさに鬼の形相で子どもたちに襲いかかる。兄は妹の側に近づき、励ましながら豆を投げるように促す。「鬼は外!」子どもたちの必死の叫び声が続く。しばらくすると、ゼーゼーと息を切らせてうずくまる鬼。
 数秒の静寂の後…「うっうー…。何が起こったんだ?えぇ!?この散らかった豆は何?もしかして、鬼が来たの?!」正気に戻った父。ほっとして駆け寄る兄に対して、動揺して動けない妹。子どもたちから鬼が来た時の様子を聞きながら、「全く覚えていない」と答える。鬼は怖かったか尋ねると小声で「怖い」と妹。兄は「怖くない!」と強がって見せるも、再度問いかけると「ちょっと怖かった」と半べそになっている。その後は、日本の風習「鬼は外!福は内!」と各部屋を練り歩き、玄関の外に向かって豆をまいて終了する。玄関戸を開けると、子どもたちは外に鬼がいないかと遠くから豆をまいていた。
 来年は、どんな鬼が我が家に訪れるのだろうか。子どもたちへ「心に住む鬼」のことを話しながら、私たち大人の心に棲みつく沢山の鬼を想像していた。“傲慢な鬼”“自分勝手な鬼”“無責任な鬼”“他人への思いやりを忘れさせてしまう鬼”“未来への夢や希望を見失わせようとする鬼”…。自分の心に「鬼は外!」とつぶやいてみる。すると、おびえる妹とそれを気遣う優しい兄の姿をした可愛らしい兄妹鬼が見えてきた。節分を満喫した鬼たちは、また私たちの心の中に帰ってくる。明日から子どもたちは、いつも通りの「悪餓鬼(ワルガキ)」になって母に叱られるのであろう。しかし、それが子どもの“ありのまま”の姿である。私たちは、その子どもから多くの力を与えてもらう。心の中に棲む「鬼」…ありのままの子ども、ありのままの自分を受けとめて“ぼちぼち”生きていこう。「福は内!鬼も内!」年に一度「鬼」になるのも悪くない。そんなことを考えながら、“しばれた”(寒い)雪道を“ギュッギュッ”と踏み締めながら、残りの仕事を片付けに研究室へ向かう。

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