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コラム@NCU「つながり(第5回:先輩は特に大事にしよう)」(古牧 徳生)

 今年もやって来ました。最北の哲学者、古牧徳生です。前期の授業アンケートが返ってきました。例によって不評だらけでしたが、その中にたった一語「寒い」というのがありました。何でしょうね、これ。授業アンケートは七月下旬に行いましたから、いくら北海道でも「暑い」、いや私の授業なら絶対に「熱い」となるはずですが、いったいどうして寒いんでしょう。不思議です。
寒いと言えば京都は寒いところでした。雪が降るのは一年に一回か二回ですが、底冷えがして夜はなかなか眠れませんでした。多くの学生は電気コタツに電気ストーブで二重に暖を取っていましたが、私の唯一の暖房はお湯を沸かす電気コンロ、つまり電熱線がマルちゃん正麺みたいになってるあれです。それに手をかざしました。寝る時は毛布を二枚、それに布団そして足の方に夏用の薄い布団を重ね、叔父の形見の外套を頭から被って冷気を遮断しました。それでも足先は冷たく、靴下を履いたまま寝ることもたびたびでした。そのうちに玄関脇に並んでいたペプシコーラのアルミ缶がスクリューキャップだったことを思い出し、中にお湯を詰めてみると、何ということでしょう、立派な湯たんぽに早変わりしたではありませんか。
 とにかく貧乏でした。平成元年(1989)に28歳で博士課程を出たものの就職はありませんでした。でも当時は非常勤の口は一応ありましたし、哲学関係の同期で就職できた人はいませんでしたから、それほど深刻には感じませんでした。私としては、曲がりなりにも京大を出たのだから四、五年もすればどこかに就職できるだろうと思っていました。とりあえずK先輩の斡旋で非常勤を始めました。大阪の複数の私大で週に三日、6コマから7コマ担当しました。収入は月に15万から16万円、年収で180万円ぐらいです。なかには20コマも担当して月曜から土曜までほぼすべて埋まっている人もいましたが、そういう人は結婚していました。でも私は昔から「働くのは嫌い、働く時間があったら遊びたい」と公言して憚らない人間ですから、自分一人の生活費以上に非常勤を増やす気など毛頭なく、いわんや結婚してわざわざ負担を増やす気など尚更ありませんでした。それでなくても女は面倒です。何を考えているのか未だによく分かりません。うっかり身近に置いて練炭でも買われたらと思うと不安でたまりません。本番だけで十分だと思いませんか。
 かくして働くのは食っていける程度に抑え、そうやって作り出した時間を私はようやく自覚するに至った自分の目標のために使うようにしました。私の自覚 ―― それはまさに「哲学する」ということでした。日本ではとかく哲学というとプラトンとかカントといった過去の大思想家のテクストを研究することが主流です。もちろん歴史研究は大事ですし勉強になります。でも私は過去の偉大な哲学者よりも目の前の現実の方に関心がありました。他人の思想を分析するよりも、自分の考えを言葉にしたい気持ちの方が強かったのです。つまり「人間が生きるとはどういうことか」、「人間に宗教は必要か」、「人間にとって国家はいかにあるべきか」といったことに自分なりの答えを見つけたかったのです。そこで非常勤のない日はノートを取りながらいろいろな分野の本を読み、疎水沿いを歩きながら思索しました。そのため所属していた中世哲学研究室とは自然に疎遠になりましたが、それでも先輩たちとのつながりは切れませんでした。非常勤先の科目が再編され、私の担当がなくなると、そのたびにK先輩やO先輩が動いてくれて別の大学で食いつなぐことができました。そんなことが三度も四度もありました。本当に感謝しなければなりません。持つべきものはやはり先輩です。
 その間も各地の大学で時折出される哲学の教員公募に応募しましたが、新潟県立女子短大と山形大学(教育学部)の最終選考に残った以外はすべて書類選考の段階で落選、落選また落選でした。こうして四、五年どころか十年過ぎても非常勤のまま、いつしか私は40歳、世に言う不惑になっていました。

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