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コラム@NCU 「つながり(第1回:つながりの罠)」(関 朋昭)

 こんにちは。名寄市立大学の関朋昭(セキ トモアキ)です。名寄高校の先生方とご相談した結果、今年度のテーマは「つながり」ということになりました。なかなか面白いテーマとなりそうですが、どうか1年間よろしくお願いいたします。
 「つながり」という言葉は、実に教育的な匂いがプンプンしますが、みなさんどうでしょうか? どうせきっと、「つながりが素晴らしい」とか「つがなりは大事だ」みたいな説教じみたことを言うわけでしょ、はいはいご苦労様、もう結構です、と思った人、嫌がらないで読み進めてください。これまで僕も「和を以って貴し(みんな仲良くが良い)」、「一致団結」などが大切だと学校では教わってきました。また海外から日本をみれば、集団を重要視した国民だと捉えられがちです。特にアメリカの個人主義との違いは大きいですね。さて、この見方は本当でしょうか?? 実は大きな落とし穴(罠)があるのではないか、と僕はみています。そこで第1回目は「つながりの罠」ということについて考えてみたいと思います。
 みなさんの多くは、「つながり」を大切にする人は、和(グループ)を重視するのだから、どんな人たちとも仲良くできるし、協力しあうこともできるはずだ、と考えるのではないでしょうか。つまり、「つながり」を大切にする心や考え方(以下、めんどうなので「つながり主義」としますね)の人間で集まれば、それはとても素晴らしい集団となるであろう、と。その「つながり主義」は日本人のアイデンティティである、と。それはそれで正しい見方だと僕は思います。それでは、なぜ、いじめがなくならないのでしょうか? なぜスクールカーストのようなヘンテコなものができてしまうのでしょうか? その説明がつきません。矛盾します。そして「つながり主義」の素晴らしさを学んだ大人の世界に至ってもいじめや対立が無くなりません。変だと思いませんか? 一体つながり主義はどうしちゃったんでしょうか?
 身近な例として部活を挙げてみてみましょう。ちょっと意地悪な質問かもしれませんが、数ある部活間同士のヨコの「つながり」は本当に仲が良いですか? また部活内のタテの「つながり」は本当に仲が良いですか? 正直なところ多少の軋轢があるのではないでしょうか。経験上、僕が所属していたサッカー部と○○部は犬猿の仲でした。実は「つながり主義」は集団内の利益を最優先してしまうため非常に結束力が強くなります。しかし、逆にいえば、集団の結束力が強くなれば、それだけ他の集団の人たちとの協力を築くことが心理的に困難になってきます。「つながり主義」と言われてみれば、あたかも誰とでも仲良くできそうなイメージがありますが、実は所属する集団以外の人には協力的になれなくなってしまいがちです。逆にあまり「つながり主義」を重視しない個人主義的な人の方が、むしろ集団に気持ちが引っ張られないため、外の人たちとの協力がスムーズだったりします。
 このように、響きの良い「つながり」という言葉にも「罠」が孕んでいることが分かります。実は、僕は中学・高校と部活だけをしに学校へ通っていた部活バカでした。そのため、部活内での「つながり」が相当強く、それ以外の集団(他の部活、クラス、生徒会など)には非協力的でした。当時のみなさん、ごめんなさい。この僕の例をじっくり眺めてみると、集団主義(つながり主義)に見えることが、むしろ個人主義に見えませんか。反転してしまいましたね。「つながり主義」が強くなればなるほど、他の集団と敵対してしまいます。本物の「つながり主義」とは、「強いつながり」ではなく「弱いつながり」のことかもしれませんね。みなさんどう思いますか?

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