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コラム@N­CU - ­第2回 『オリジナルとコピー』」 関 朋昭

名寄市立大学の関です。大学ではスポーツに関する授業を担当し、特に日本の部活動を題材とした研究をしています。今回は、オリンピックの話題に触れながら、テーマの「最近思うこと、考えていること」について述べたいと思います。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムに関する報道が目に付きます(2015年9月現在)。個人的にはどうでも良いことだと思いつつも、この問題から何か考えてみたいと思いました。この問題の焦点は、「オリジナル(自作)かコピー(模倣)か」ですが、「オリジナル(合法)かコピー(違法)か」ともいえます。そもそも完全なオリジナルなんてあるのでしょうか? 以下、他の話題とも関連づけて考えてみたいと思います。

今年度の芥川賞は漫才師の作家が受賞しました。私は、ここ数年小説断ちをしていましたが、魔が差したのか、受賞作が掲載されている月刊誌を買って読みました。読了後、「どこかで似たような作品を読んだことがある」と正直思いました。この芥川賞受賞作家の漫才師は、文学少年だったらしく、幼少のときから文豪たちの作品を読み耽っていたらしいです。彼が、文豪たちから影響を受けていないはずはありません。つまり、何と無くネタを得ていたといえます(無意識に得ちゃった)。小説などのオリジナルの世界を創る際には、過去に得たネタを完全に破棄することができず、むしろ必要な情報だともいえます。音楽の世界、芸術の世界なども同型でしょう。またスポーツの世界においても、有名選手の模倣をしたり、強豪校の作戦を真似していることが多々あるのではないでしょうか? あと、みなさんの身近な例として学校祭を挙げれば、「自分たちの学年は、先輩方を超えたオリジナルの学校祭を創りたい!」と意気込んでも、前年度を踏襲した内容となってしまうことが一般的ではないでしょうか。完全なオリジナルをつくることは容易ではありませんね。そもそも完全なオリジナルは創れるのでしょうか?

日本には、型や技などを身につける「守破離」という段階的な教え方があります。「守」は師匠の教えに充実に従うことです。「破」は他の教えについても考え、良い点を取り入れることです。「離」は、師匠から離れ独自の新しいものを確立させることです。茶道、華道、剣道などをイメージしてもらえば分かりやすいかもしれません。漫才も同じですね。学問の世界も実は同じです。研究者になるためには、師匠探しからはじまります。師匠は大学、大学院の指導教員ということになりますが、まずはそこの指導教員の門下生とならなくてはなりません。門下生となれば、あとは既述の「守破離」に従って立派な研究者を目指して階段を登っていくことになります。まずは研究する上で大切なことを指導教員から教わりますが、その1つとして先行研究を徹底的に調べる(勉強する)作業が課せられます。なぜなら、オリジナルと思われる自分が考えたアイデアは、すでに誰かが必ず研究しています。それらの研究成果をネタに、自分なりに創造できるようになれば、オリジナルな研究(研究者)となります。しかし、気の遠くなるような階段です(泣)。

どの世界でも、オリジナルを創るためには、莫大な時間、豊富な経済力、絶え間ない気概などが必要です。このコストに見合った対価が特許、著作権となります。ゆえに無断でコピーをしたらいけないのです。罰せられます。

この私のコラム、オリジナルなのでしょうか? 実はコピーだったりして。

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