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コラム@NCU 第6回 学び(古牧徳生)

古牧徳生と申します。私の担当は哲学・倫理学です。一番不評の学問です。残念ながら私の授業も評判が悪く、特に女子学生の評価は最悪で、授業アンケートは毎回最下位です。これが私立大学ならとうにリストラの対象でしょうが、そこは公立大学、今年もしぶとく哲学させてもらっています。

 さて「学び」ということですが、私はとても怠惰な人間で大の勉強嫌いです。子供の頃、授業はたいてい上の空で宿題もほとんどしませんでした。だってそんなの面倒ですもの。でも本を読むのは好きで好奇心は旺盛でした。小学校の二年だったと思います。上の兄が「宇宙には果てがある」と言いました。「じゃあ、その果ての向うには何がある」「何もないんだよ。宇宙の果てなんだから」これを聞いて私はおかしいと思いました。仮に宇宙に果てがあるとしましょう。その果てに立って、片足を一歩前に踏み出したら、その分だけ宇宙の果てを越えたことになります。次に反対の足を同じように一歩踏み出せば、宇宙の果てはまた一歩広がります。この理屈を無限に繰り返していけば、宇宙は無限に広がっていくはずです。だから宇宙は有限という考えは絶対に間違いだと言いました。こんな調子でしたから、教員たちからは一様に「理屈っぽい」と言われていました。小学校の五年の時の通信簿では「興味をもって勉強する教科はすばらしい成果をあげますが、反面嫌いとなると徹底して努力を怠ります。まじめに学習する態度を育てたいと心掛けています」とありました。確かに正論でしょう。でも勉強する気はその後も一向に起きませんでした。だって面倒ですもの。

 そんな私が入学したのは岡山大学の法文学部でした。当時のそこの教養部長は論文をもう二十年間も全然書いていないという倫理学の教授でした。「そんなで給料が貰えるのか」と私は驚くと同時に羨ましくも思いました。二年になると今度は学部の倫理学史の授業に出ましたが、これがまたものすごくお粗末なもので「これで大学の先生なの?」と何度も呆れました。でも、その授業に出たおかげでようやく明確な目標ができました。

 こうして私は大嫌いな勉強を進んで行うようになりました。苦手な英語の論文を読み、ドイツ語をやり直し、フランス語を独習しました。そのまま岡山大学の修士課程に入ってからはギリシア語とラテン語を同時に勉強し、二年から三年にかけて600頁ちょっとあるラテン語の原典をラテン語辞典と独和辞典を頼りに全訳し、修士論文を書きました。そのあと、当時の岡山大学には博士課程がありませんでしたから、東大の大学院を受け直すつもりでしたが、京大に博士編入制度がありましたので、そちらを受けました。わかりますよね。そう、修士をやり直すなんて面倒ですもの。かくして25歳のとき京都に移りました。私としては、ここまで来れば目標のるんるんの生活までもう少しだと思いましたが、それからは毎年がトホホの連続でした。それというのも大学教員のポストは「学び」とは無関係だったからです。でもまあ、これにつきましてはまたの機会に譲りましょう。それでは皆さん、御機嫌よう。

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