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コラム@NCU 第4回 働くこと(清水池義治)を掲載しました。

 名寄市立大学の清水池 義治(しみずいけ・よしはる)です。大学では経済学などの経済系科目、「北海道の農と食」といった農業・食料系科目を担当しています。広島県出身で、大学から北海道で生活し、名寄にやってきたのが3年前。随分と北上したなという思いです。

 さて、何をテーマにするか悩みましたが、働くこと=「労働」にしたいと思います。みなさんは近い将来、就職して働くことになります。みなさんは、将来の何らかの自分の仕事に向けて、日々勉強に取り組んでいることでしょう。人間は起きている時間の半分くらいは働いていますから、人生のかなりの時間を労働に費やしています。

 ところで、人間はなんのために働くのでしょうか。みなさんはなぜ働きたいのですか。当たり前すぎることを聞いていると思うかもしれませんが、私は主に2つの理由があると考えます。1つは「生きるため(極言すれば食べるため)に働く」、もう1つは「自分の能力を活かして社会に貢献するために働く」です。これら2つはしばしば衝突します。例えば、社会に貢献できる仕事をしたいが、そういう仕事に就けない。だから、とりあえず生きていくためにやりたくない仕事でもやらなくてはならない。こういったことは現実にはよくあることです。

 人間社会は、人間が生きるのに必要なモノを、個々人で働いてそれぞれ作るのではなく、みんなで分担して働いて作り、それらのモノを分け合うことで成り立っています。みなさんの周りにある生活必需品、食べ物・衣服・家などは全て、みなさんではない他の人が働いて作ったモノです。人間社会は、労働によって繋がっているのです。現在の資本主義社会では、社会で分担して作ったモノは単純に分け合うのではなく、お金を介在させた売り買いを通じて分け合っています。モノを作った人とモノを使う人との間にお金が入ると、途端にモノを作った人の姿が見えづらくなります。例えば、農家の人から直接野菜をもらったら、その人のことを思い浮かべながら野菜を食べるでしょう。しかし、スーパーで買った野菜を食べる場合、毎回毎回作った人のことを思い浮かべないでしょうし、そもそも誰が作ったのかもよく分かりません。最近は便利な世の中になって、コンビニやネット通販などあまり人と接触しなくても、お金があれば不自由なく生活できるようになりました。しかし、だからと言って、お金がありさえすれば生きられるわけではありません。あくまでも、あなたの必要なモノを働いて作っている人がいるから生きていけることを忘れないで下さい。

 不景気の今、とにかく生きるためだけに働くことを強いられている人がたくさんいます。ですが、本来、働くことは生きるための「手段」ではなくて、生きる「目的」ではないでしょうか。自らの労働を通じて、社会と繋がりを持ち、自分なりに社会に貢献することが実感できてこそ、真に人間的な働き方と思っています。みなさんがそういう「労働」に出会えることを願っています。

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