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「夏に想う雪国のこと」(長谷川 武史)

キマロキ

 自宅近くにある名寄公園内の名寄市北国博物館の敷地には、昔、名寄地域で50年あまりも渡って使われていた蒸気機関車が展示されている。旅客用として使用されていたものではなく、「キマロキ」編成と呼ばれ冬期間の排雪用編成列車として使用されていたものがそのままの状態で保存されている。
 敷地内の説明文によればこの「キマロキ」編成は、機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の順に連結された形態のことを指しており、それぞれの列車の頭文字をとってそう呼ばれているそうである。北海道のような雪国出身の者ならば、雪に降った早朝、ラッセル車という除雪列車で豪快に雪を跳ねのけて除雪を行なう場面を見ることがある。だがこの「キマロキ」編成、そのラッセル車でも除雪が困難だったときに使用されるものとのことで、昔のこの地の雪深さと厳しさが窺い知れる。実際、私が今年の4月に名寄市立大学に着任した時にも、まだまだ路肩には雪がうず高く残っており、冬の長さを感じたのと合せ、国内最北の公立大学という肩書きに恥じない場所であると実感させられた。一転、この文章を書いている8月末になっても連日夏日が続いており、四季の変化の幅に驚かされる。
 今では交通網が多様に整備され鉄道網への依存度は少なくなってきているだろうが、この「キマロキ」編成、名寄の厳しい冬の環境と、線路網に沿って都市が整備されてきた近代日本を考えると、当時の人々にはライフラインを維持する大切なものであったに違いない。

 実際、私もライフラインを断たれた経験がある。今年の3月まで住んでいた福島での経験である。2011年3月11日、ちょうどその日は仙台に日帰りで出かけていたのだが、そこで地震を経験した。地震が揺れている最中に仙台市内は停電となり、揺れが収まっても情報が一切入らない時間が続いた。地震直後は、そのうちJRもすぐに動き出すだろうから近くの居酒屋で時間を潰せば良いかなど、気楽に構えていた。しかし事態の深刻さが分かり、仙台から移動できたのは2日後、自宅があった福島市に戻れたのは地震発生の日からちょうど2週間後であった。福島市と仙台市は新幹線であれば20分足らず、高速道路を使えば1時間程の距離であったが、このときは途方もなく遠いと感じた。物流が止まることの深刻を初めて経験した。
 日本の鉄道ダイヤは世界一正確と言われる。時刻表通りに出発して到着する。2・3分の遅れでも、お詫びのアナウンスが流れる。本州からの宅配便を翌日には北海道で受け取ることができる。日本人としてこの当たり前の便利さを自覚することが今は大切なのかもしれない。
 もう少しでまた冬がやってくる。昔、初雪に対して嬉しさを感じるよりも大変さを先に想像すると大人になった証拠と言われた。いつ頃からそう思うようになったのだろうか。今年の冬は除雪の回数が1回でも少ない冬であって欲しい。汗ばむ暑い日にキマロキ編成の蒸気機関車の車列を見て改めて思った。これもまた大人の証拠だろうか。

キマロキ説明

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