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「河童の祈り」(村上 正和)

 みなさんは名寄に河童がいるのをご存じだろうか?意外と名寄市民でも「知らない」という方も多いのだが、確かにいる。
 私がこの河童に逢ったのは忘れもしない10年前。名寄に来たばかりのその頃の私は、仕事が終わると朝晩関係なく「名寄探索!」と張り切り、手に入れたばかりのSUV車で近隣の山林地帯も含め名寄中を駆け巡っていた。誰も知らない夜景や抜け道をよく発見したものである。時には熊も目撃した。


 ある日の夜中(夜勤終わりの午前2時過ぎだったと思う)に「この道は何だ?」とふと入った小道。その先にはヘリポートがあった。
 「へぇ、こんなところにヘリポートがあったんだ?」 
 近くに自衛隊の駐屯地があるので、災害用か医療搬送用なのだろう。今日もまた一つ、名寄について詳しくなった。さぁ、明日も仕事だしそろそろ帰ろうかと車のハンドルを切った。

 その時である。
 「何かいる!!!!!」
 車のヘッドライトに照らされ、何か青光りするものが視界に入った。
 ………河童である。
 なんだ、河童か。熊かと思った。びっくりさせないでよって…河童!?

 車を降り、恐る恐る近づいてみると、それは小さな河童の銅像であった。
 子供の風体であどけない微笑を浮かべ、ビビリまくりの私をせせら笑っているようにも見えた。
 想像してみてほしい。深夜、予備知識のないままに、何もあるはずのない所で、暗がりの深淵に河童を見つけた時の驚きと恐怖を。

 後日調べてみるとその河童像は「明神子河童」と呼ばれ、水難事故防止を祈りながら鎮座しているとのこと。そのまた後日私は、それはもちろん日中の時間帯だったが、再度河童像を訪れた。陽光の下で見る子河童はとても愛嬌のある表情を浮かべ私を迎えてくれた。そうこれは私だけがそう感じるのかもしれないが、この子河童は、見る角度や見る側の心境の変化によって、どうとでも受け取れる独特の表情をしているのだ。ある時には微笑に、またある時は威風堂々と、そしてまたある時には悲しそうな…。その時の私には「おう、また来たのか」と少し照れたような、はにかみの表情に見てとれた。
 像の周囲にある石碑には「…人々は、真に自然と人間が共生できる清流を求めて、立ち上がることを強く願い、叫びたい。私は万物の幸福を祈り、清流を取り戻す人々の営みを見守るために、永遠に、この地に鎮座することにした。」と子河童の言葉が記されている。まだ若いのになんて立派な志だろうか。
 他の石碑にはさらに、河童の四季折々の生活について記されている。要約すると、河童は春になるとタマゴから孵り、夏になると一人で泳いだり歩いたりできるようになるらしい。河童は寒いのがとても苦手で、秋になると冬眠の準備を始め、冬は完全に眠ったままで過ごすそうだ。そしてまた春になると目覚め、若者同士で家庭を持つこととなるが、年をとった河童は冬眠の間に死んでしまうこともあるという。北海道で河童といえば「河童伝説」のある定山渓がよく知られているが、さらに北の極寒の地、名寄にも寒さを得意としない河童がいて、水難を見張ってくれているのだから、とてもとてもありがたい存在である。きっと彼の傍らにあるキュウリやお酒のお供えも、ときに身に着けている蓑も、この地の人々の彼に対する感謝と畏敬の表れなのだろう。
 彼は自衛隊名寄駐屯地のそばのヘリポート北側に今日も佇んでいる。ちょうど南西から北上する天塩川と南東から北上する名寄川が合流する場所である。もともと名寄(なよろ)という地名はアイヌ語の「ナイオロプト」(渓流に注ぐ口)を由来としており、名寄川が天塩川に注ぐ様子をいったものであるというから、正に名寄!という地から事故がないか見張ってくれているのだ。

 これから名寄も暖かくなり、水辺での遊びやスポーツも活発になってくる。私も挑戦したことがあるが天塩川はカヌーが盛んで、“日本一長い”カヌーツーリング大会なども開催されている。また日本第4位の長さを持つ天塩川流域の河川敷には、キャンプ場やサッカー場、野球場などが多数敷設され、家族の憩いの場にもなっている。河川に限らず、夏に向けて海やプールに入る機会も増えてくるであろう。
 水に関わるレジャーを予定されている方は、安全祈願に事前にこの子河童をお参りしては如何だろうか。もちろん好物のキュウリを持って。

 私も医療人として、学生に関わる教員として、子を持つ親として、水難事故が起こらないことを子河童と共に、切に、切に願うものである。

河童

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