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「馬の慰霊碑」(廣橋 容子)

 降りつのる春の雪の向こうに、雪に包まれた大学の新館が見えている。ヒーターのきいた暖かな研究室から眺める雪景色は美しく、往く冬の名残を惜しむ気持ちとなるが、どこかに優しい春の彩りを待つ心も芽生えているように思える。
 名寄市立大学に着任した年の春、5月の末に出会った風景を思い出す。タンポポの群生が小さい緑の丘を黄色に染め、青空を背景にすっくと幾本かの木々が立っていた。その側に「馬の慰霊碑」があった。名寄市の西部にある浅江島公園の一角である。小高い築山の上に、堂々とした巨岩を横たえた馬の慰霊碑があり、その傍らに碑文を刻んだ四角い石が据えられていた。慰霊碑の前には、金色に輝く小さな馬の彫刻が飾られている。名寄市開拓100年を記念して建てられたもののようであった。
 近くには「乳牛感謝の碑」もあるが、私が目を瞠ったのは、馬の慰霊碑の碑文の素晴らしさであった。その謙虚で熱い思いのこもった名文を読むうち、涙が溢れて止まらなくなった。そこには、開拓や戦争に駆り出されて黙々と働いた馬たちへの、尊敬と愛情と感謝の念が強く刻まれていたのだった。

 名寄市が開かれて百年余、いま私たちは当然のように、道路に車を走らせ、暖かい建物の中で快適な暮らしを営んでいる。しかし、大いなる天塩川と清らかな名寄川に囲まれ、その川たちが合流するナイ・オロ・プト(川のそばの国)というアイヌの人々の言葉からの地名を持つこの名寄の地は、馬たちの力なくしては、このように開かれ、栄えることはなかったのである。人間は馬の力を借り、原野を切り開いた。また林業が主要な産業であった昔には、人は馬とともに働き、巨大な木材を切り出して生活の糧とした。木の伐採は、積雪をいかして、運搬に橇(そり)が使える冬季に行われていた。山子(やまこ)や杣夫(そまふ)と呼ばれた農家の人々が従事し、冬場の農閑期の貴重な収入源となった。山中で建材を一定の長さに切りだし、人力で斜面を下して集め、馬橇で平地に運んだとのことである。名寄市北国博物館には、当時の馬橇が展示され、上記のような説明文が附されている。馬と人が働く様子を描いた絵もある。厳冬期の名寄の雪の上を、太い木材を積んだ重い橇を馬が引き、馬の息と汗が蒸気になって立ち上る光景が目に浮かぶようだ。人間と馬は過酷な労働を互いに支え合って耐えたのであり、先人の苦労に頭が下がる思いがする

 また碑文には、戦争に徴用された馬たちのことも書かれていた。動物好きの私の母は、東日本大震災のあと餌を与えることができず餓死させられた牛たちの様子や、寄り集まって息絶えた豚たちの写真を、週刊誌で見たと涙ながらに話していた。その母が以前、「高峰秀子さんが、戦争に行った人間は外地から帰ってきたが、帰ってきた馬は一頭もいない、と言っていた」と幾度か語っていた。その話は私の胸の奥に住んで、大陸で置き去りにされた馬たちはさぞ日本に帰りたかったことだろう、どんなに辛い思いをしたのだろうと、時折心の底から浮かび上がってくるのだった。
 戦時中、家族のように大事にしていた農耕馬に、中国大陸での運送の役目で召集令状が来ると、皆泣きながら馬の体に触って別れを惜しみ、馬も動こうとしないのを引き立てられ、人間のように後ろを振り返りながら去っていったと記されたものを読んだことがある。敗戦のあと、捨てられて置き去りにされた馬たちはまことに哀れであった。それが名寄に来て、浅江島公園の片隅にある石碑に、戦争に駆り出された愛馬のことや、馬たちに過酷な労役を強いてきたことに悔恨の情を禁じ得ない、開拓以来何百万頭にも及ぶであろう馬たちの汗と血と涙が浸み込んだ北海道の大地であり、忘れ得ぬ歴史である、と記されている石碑を見出した時、私は、このような美しい文章を書いた方がいる名寄に来て本当に良かったと感動した。
 自然と調和して生きる。いま東日本大震災のあと、日本の国民が一致して希求する平和な世の中は、自然に対する畏敬の念からしか生まれないように思う。名寄には、そのような感性を備えた先人が住んでおられるのである。馬の慰霊碑を建てた方々のように、大自然の一部である人間として、命に感謝し、謙虚に生きたいと願う。
今は雪に埋もれているが、雪解けも近い。春になったら浅江島公園を訪ね、馬の慰霊碑の前にたたずんでみられてはいかがだろうか。心からお勧めしたい。

馬の慰霊碑の碑文(原文ママ)

碑  文
 開拓百年を迎えるに当り、この豊饒の地に、安住の営みあるを思い、原野に鍬を入れた、先人を初め多くの先達の辛苦と、耐乏の努力に、敬意と感謝を致しております。
 併せて、共に働いた耕馬を偲び、夏は虻・蚊に刺されての農耕、冬は酷寒に汗を流して、物品・木材の運搬を担い、流通経済を支えて来ました。
 馬を酷使した者はもとより、当時の農民は皆、馬力に頼り助けられて、生計が成り立った時代でした。
 また、ある時は、大陸の広野に徴用馬として駆り出され、その犠牲となった愛馬は、数知れません。
 昭和四十年代以降、機械化の時代となり、馬に接することも少なくなりましたが、当時は、生活のためとはゆえ、過酷な労役を強いてきたと、悔恨の情、禁じ得ぬこの頃です。
 開拓以来、何百万頭にも及ぶであろう、汗と血と涙が浸み込んだ北海道であり、忘れえぬ歴史です。
 その実態を憶ふとき、只、座して感慨の念に止まるに忍びず、これを後世に伝えると共に、社会全般に亙っての貢献を思い、記念事業として、ここに、この碑を建立して、その霊を慰めるものであります。
馬の慰霊碑建立期成会  
平成十二年六月建立

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