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コラム@NCU(鈴木 文明)

ハルモニ1

前略

 私が住む名寄ではすでに初雪が降り、冬がすぐそこまでやって来ている。この時期、大学の近くを流れる名寄川を秋鮭が遡上する。河口から名寄まで約160キロ、自分が生まれた川(=母川)をただひたすら上って来たのだ。急流に傷つけられた魚体は、一部が白く変色している。間もなく、適当な川床を見つけて産卵(もしくは射精)し、儚く一生を終える。
 私が学生たちから年寄り扱いされ、「長生きして」とまで言われていることは、前回のコラムに書いた。学生は、鮭と同じように私を眼差しているのかもしれない。酔っ払って家路を辿っている途中、転んでできた傷が疼いているし、頭髪も白く変色している。そろそろ、逝く時なのか。さらば、今宵も飲むしかない。実にいい加減に人生を考えている私である。
 しかし、「明日はもっと幸せになれる」と信じて、日々を大切に過ごしている多くの人々がいる。大阪に住む在日一世のハルモニ(韓国語でおばあさんという意)たちである。1945年以前に、まだ幼かった彼女たちは朝鮮半島から日本に渡ってきた。植民地下での生活は貧しく、もしかしたら豊かになれるかもしれないという期待を持っていた。しかし、現実は厳しく、貧困に加えて酷い差別の中での生活を強いられた。学校へも行かせてもらえず、その結果、非識字者として人生を歩まざるを得なかった。そんなハルモニたちが、「夜間中学」で初めて学ぶことができたのは1990年代になってからで、とうに60歳を過ぎていた。
 「自分の名を書けるちゅうことが、どんだけ嬉しかったか」と話るハルモニたちは、東大阪市にある「さらんばん」というデイケア施設に毎日通い、今もそこで学び続けている。
 今年の3月、1年生の科目「基礎演習」で私が担当した学生のうちの三人が、その「さらんばん」への訪問に同行してくれた。稲垣優君、沢口拓君、増井秋穂さん、いずれも社会福祉学科の学生である。朝9時、「さらんばん」に到着した。スタッフへの挨拶もそこそこに、手伝いが始まった。先ずは、検温。「体温を計りたいのでお願いします」、そこまでは順調。しかし、それからが大変だ。体温計が、「ピッ」と鳴るまでの「間」をどうしたらよいのかわからない。何を話したらいいのか・・・、困っている。すると、「兄ちゃん、ごっつう男前やな。先生とは全然ちゃうわ」とか、「姉ちゃんもベッピンさんやな、昨日、テレビに出てたやろ」とか、ハルモニたちが助けてくれる。部屋中が、笑い声で満たされていった。

ハルモニ2

 それから昼食をはさんで、全てのハルモニが帰宅する午後4時までそこで過ごした。学生は、何を感じてくれたのだろうか。以下は、増井さんの報告レポートの一部である。
 「昼食後、私はTハルモニの足し算の勉強を手伝いました。ハルモニは8歳からずっと働き続け、学校に行かれなかったそうです。私は丸付けをさせてもらい、間違ったところをもう一度一緒にやりましょうと言いました。すると、『私は頭が悪いから』と、悲しそうに何度も繰り返されました。前夜、太平寺中学校夜間学級を訪問した時に教えられたことを思い出しました。『ハルモニたちは、勉強によって知る喜びを経験します。だけど、それは同時に、今まで私はこんなことも知らなかったのか、できなかったのか、まだできないのかと悲しくさせることでもあります』。これを思い出した時、丸付けは私の胸を締めつけるお手伝いになりました」。
 Tハルモニは、増井さんに対して「あなたはこれから何のために、何を勉強し、そしてどのように生きていくのか」という「問い」を、提示してくれたのだと思う。それを感じ取ることができたからこそ、「胸が締めつけられた」のではないだろうか。
私は、「先生」と呼ばれている。しかし、本当の「先生」はハルモニたちのように社会の矛盾と対峙して生きる人々である。古傷が疼き、頭髪も白く変色してしまったけれど、もうしばらくの間、学生をいろいろな所へ連れて行き、そしていろいろな人々に会わせたいと思う。儚く果てる地はまだ少し上流にある、と信じて。

草々

名寄市立大学 すずきぶんめい

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